Diary 2024.04.10
竹のもとにある旬と書いて、筍。竹の根元に少しのびた新芽を頼りに探さなければならない雨後の筍という言葉にあるように、瞬く間に伸び竹へと変容する。それゆえにとても限られた旬の一品なのだ。筍の太く硬い外皮は猪などから身を守るためのものであり、外れた時に竹とされる。その時には内部のやわらかな層は硬くて食べれないものとなる。
筍が一般家庭で使用される際は概して下茹でされた調理済みのものである。筍は仮に手に入ってもすぐにアク抜きをしなければ食べれたものでないという。アク抜きも時間のかかる作業である。人によってはもらいものでいただく上では困るもの。
そんな手のかかる筍がファーマーズマーケットに並んでいた。手にしてみると、ずっしりと重さを感じる。茹でてみるのも一興と思い、買い求めた。
アク抜きに用いるのは米糠が代表的だが、そんなものは都心部のスーパーにはない。調べてみると米粒やとぎ汁で代用できるそうだ。
いざ支度が整い、外皮をはいでみる。分厚さに目がいくが肌触りはとてもいい。柔らかな産毛が手に良くなじみのいい優しさだ。茶色がなくなるまで剥くとびっくりするほど小さくなる。ひとまわりと言わず、3回りはこじんまりとしている。可食部は極めて少ないと聞いていたが驚きである。
時間をかけゆっくりと茹でて食してみる。湯気があがる筍は発色の良い黄土色。柔らかな曲面で光が綺麗に反射している。
口にするととてもミルキーな甘さが広がる。自ら茹でたからこそ口にできる味わい。うん、これはまた次の春が楽しみになる。
街を歩けば川には花筏、見上げれば新緑が芽吹いている。春は筍の食べどきのように瞬く間にすぎようとしている。