署名_人口から読む日本の歴史

著者_鬼頭宏

出版元:講談社学術文庫

 

著者プロフィール

 

1947年生まれ。慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。現在、上智大学経済学部教授。専攻は日本経済史、歴史人口学。著書に『文明としての江戸システム』『環境先進国・江戸』、共著に『日本経済史2 近代成長の胎動』『人口学の現状とフロンティア』『地球人口100億の世紀』、主要論文に「江戸時代の米食」「徳川時代農村の乳児死亡」「近世農村における家族形態の周期的変化」など。(巻末より引用)

 

人口の推移は主に経済の従属変数として取り扱われます。ですがそれを主題として捉え、時代においての人々の暮らしや社会構造、様々な事象を読み解いていくのが人口歴史学という学問です。その大家の鬼頭宏氏による著書が”人口から読む日本の歴史”。

 

この本では日本における過去1万年間の人口推移を繙き、日本を読み解きます。長期的に常に増加している日本の人口ですが、その中で鬼頭氏は増加には4つの波があると記しています。

1つ目は縄文中期。

この頃は、人口の地域差が激しかった。一つは東日本で全人口の96%(25.5万人)をしめていました。それに対して西日本は4%(9500人)。

ですが、4500年前に訪れた寒気により、長期的に寒冷化。それにより植生も大きく変化し、東日本の人口は激減へと向かいました。北陸では80%、南関東・東北では90%以上も減少したとされています。

その一方で西日本では同時期に、1.5倍まで増加したそうです。寒冷化の影響が東日本に比べて少なかった可能性もありますが、生活基盤である農業における変化として焼畑農耕が広く普及したものによるものとされています。

安定した食料供給で成長を遂げることができました。とは言いつつも、この段階でも日本全体の人口のうち、東日本が86%を占めていたそうです。とはいえ、総体として人口は激減しました。これが1つ目の波です。

2つめの波は弥生時代から平安時代にかけての1000年間です。

 

縄文時代から平安時代にかけて起きた農業(稲作)革命によるものです。これにより人々は摂取カロリーが飛躍的にのび、この頃の日本の人口分布は大きく変わりました。

 

地域 : 弥生時代の日本総人口に対する人口比率 (縄文時代のそれ)

近畿地方 : 16.9% (2.7%)

九州地方 : 17.7% (8.3%)

中国地方 : 11.2% (1.8%)

四国地方 : 5.1% (0.7%)

西日本の総人口は日本の51%にも及び、歴史上初めて東日本を凌駕しました。この傾向は9世紀ごろまで続き、結果的に西日本が58%を締めることとなりました。この間、東日本でも人口は増加していましたがそれを上回る圧倒的な西日本の人口成長率だったということです。

稲作が西日本で早くから普及した要因として大陸に近く、気候が温暖な地理的要因に加え、当時の西日本の食性では良質な動物性蛋白質が不足しており、それを補う形で稲作のニーズがあったとのことです。

この西日本の成長傾向はしばらく続き、8世紀を過ぎた頃に成長率は鈍化、10世紀には停滞的になります。この要因は様々ですが興味深いのは荘園の登場です。奈良時代以降から発展する荘園制は墾田私有を認める制度です。開発に熱心な農家が登場し、富裕層が出てきた一方で多くの荘園領主の関心は農地経営そのものには興味はありませんでした。その一方で年々年貢への意識が高まりました。これは荘園制がもたらした市場経済によるもので、年貢が米以外に布・炭・材木など多様化しました。そのために稲作の発展が必ずしも生活水準の向上の唯一の手段とは行かなくなります。直接耕作者の農民にとっても貢納生産と自給生産が目的となり、農地の拡大や生産性の向上が見られなくなりました。これにより農作物の生産の向上が見られず人口増加の停滞を引き起こした、と本書には書かれています。

 

第3の波は14から15世紀にかけて始まりました。
この周期は18世紀まで継続しました。
大きく江戸時代前期は増加期と中期・後期は減少期です。
前期は農家の組織形態の変化が大きく影響してきます。江戸時代以前は名主、そしてそこに奉公する従属農民によって農業は支えられていました。ですが従属農民の有配偶率は少なく、農業を営む組織としては代を継ぐごとに働き手が減っていきます。そのため農家の組織形態が従属農民に頼った名主経営から家族労働力に頼った家族経営へと変化していきました。すると必然的に担い手が欲しいというインセンティブが働き、出生率が向上していきました。
また、平均死亡年齢が上がったことも見逃せません。
1561~1590年に出生した旗本の平均年齢が42.3歳に対して1681~1710年のそれは51.3歳となっています。これは1日3食制、木綿栽培の普及による衣類・寝具の改善、畳敷の普及など様々な生活水準の向上によります。
この第3の波の停滞は”マルサスの罠”で説明しています。
マルサスの罠とは「両性間の情熱は不変であり常に増加する傾向にあるが、人間の生存にとって不可欠な生存資料(食糧)の増加はそれより緩慢である。あるいは限定生産力は逓減的であるため、人口増加につれて生活水準の低下が引き起こされる」というものです。
本書では江戸時代も同様のケースと考えています。人口増加による貧困に陥ると疾病、飢饉、犯罪などを招き、人口低下を引き起こしたと考えられています。また人口増加による生活水準低下の予防策として、人口抑止活動の一環として捨て子や嬰児殺しも行われていました。
第4の波は17世紀後半から現在にかけてです。
この波の増加の始点は日本の工業化の半世紀前になります。凶作・疫病のない安定した時期が長く続いたことによる平均死亡年齢の低下、出生率の上昇により人口が徐々に増加し、そのまま工業化による爆発的な人口増加に続きます。そして1970年以降から現在にかけての人口減少につながるわけです。
具体的な数値は割愛しましたが、学術論文を書籍にしたものだけあって数字や各事象について詳細に記載してあります。そして嬰児殺しなど現在では考えられない慣習や丁稚奉公による都市部と郡部での人口動態の差異・江戸時代の家族構成など、人文学的観点からきちんと掲載されているのも非常に興味深かったです。

最終章には世界的な人口動態についても人口歴史学の観点から記載してありましたがそれもまた示唆に富むものでした。著者は発展途上国での出生率が非常に高いことを人口歴史学の観点からマイナス要因だと捉えています。先進国では近代経済成長が始まってから人口転換には時間を要しています。その間に婚姻・出産の様式が人口安定期に合わせて成熟していきました。ですが現代の発展途上国の経済成長は選手国や国際機関・先進国からの技術移転によるもので急激な変化です。そのため途上国での婚姻・出産の様式はまだ発展途上期のものであり、出生率の増加・死亡率の低下が極端な形で表面化します。この人口爆発が経済発展の足を引っ張ってしまったとしています。

 

人口歴史学が面白いと思えたのは、日本が徐々に形成されていく過程を示していることです。特定時期の人口動態を計測するにしても地域によって様々なパターンがあるわけです。それが徐々にパターンのバラエティが少なくなり、地域特性がなくなっていっているのは日本が均一化していったってことの裏返しです。そんなことを思いながら読んでいました。