アメリカ人作家、オーガステン・バロウズによる自叙伝。

 

 

 

バロウズ違いだった。
僕が読みたかったのはウィリアム・バロウズ氏の本だった。
ただ間違ってオーガステン・バロウズ氏の本著を誤ってポチってしまった…

そんなひょんなきっかけだからあまり期待はしていなかった。ただ名前だってあんまりきれいなものでなく、物々しい。一応レビューには目を通していた、どうやら一筋縄な人生ではなかった著者のファンキーな回想記だ。(僕が探していたウィリアム・バロウズ氏もファンキナーな描写で有名だ。だからレビューを見ていても間違いに気付けなかった…ぐう辛い)

出てくる人物は全員まともじゃない。
精神疾患の母、ディアドレはレズのパートナーをもち、そのパートナーは神父の旦那様を持っている。父はアル中でどうにもならずディアドレと離婚。
父がわりになる母の担当医、フィンチはというとどっちが患者かよくわからないくらいに変人だ。
フィンチ医師は自らの患者を自宅で看ているんだが、時に患者を養子に入れるくらいだ。
主人公のバロウズ少年(14歳)はあるときホモセクシャルに目覚め、元患者で養子のブックマン(35歳だっけ)は恋に落ちる。
患者ならずともフィンチ医師の家族はまた色濃い。これ以上はうだうだしそうなので、出版社ページにお任せする。(めんどくさい)

 

生きていれば誰だって欠けているんじゃないかな…と言えることがある。僕にしてみれば協調性だとかだろうし。その反対で”空気を読みすぎちゃう”っていう気にしいの人だっている。誰だって欠けていることがある。

多分この作品に出てくる人たちだってそう。一見して”まともな登場人物がまともじゃない”というくらいに、全員頭のネジが狂ってる。ただ彼らはそれぞれで欠けているところが違い、共通して彼らは人生をまっとうに生きようとしてあがいて狂っている。
そんな愛くるしさしか感じられる。

訳者が”アメリカが詰まっている”的に評している。本当にそう思う。

自分らしくいることを追い求めて、それに対しての制約を突っぱねる。

ある意味日本人が羨むようなアメリカが詰まっている作品だ。