白い病(著:カレルチャペック)を読んだって話。
生誕130年を迎えるカレルチャペック。
そんな彼の日本語訳の新作であるこの本をさす白い病とはペストとはまた異なる未知の伝染病である。特徴は白い斑点が首に発症し生きながらにして体が腐敗していくという病だ。
チャペックの真髄といえば山椒魚戦争・絶対製造工場などに代表されるような非常に綿密に作りこまれたサイエンスフィクションだ。しかしこの白い病では病気に関してはことさら作り込まれていない。むしろかなりぼんやりとした存在、事象である。これはおそらく戯曲として作られた故に舞台であまりにも複雑な背景というのは説明できないからであろう。そのためこの病気というのは非常にファジーなものではある。だからこそ作品中では人々の心理や社会的側面目がいきやすい。
この小説戯曲の中ではこの病をきっかけに世論が二つに分かれることとなる。戦争を放棄するか、あるいは病の完治を目指すか。これは新型コロナ禍に起きるに世界と全く同じ事象である。社会はコロナ収束か早期の経済回復かこれの二者択一を迫られている。台湾であったりは非常に稀なだけ成功したケースである。ベトナムもそうだろう。ただ日本は依然としてGoToトラベルの議論も含め、経済と疾病予防のどちらを取るかという只中にある。
翻って本作において対立する概念は感染症撲滅そして戦争であるこの白い病を治せる唯一の博士は薬の創作を方法というのは明らかにしなかった。そして貧しい人々何を救い続けた。そして富裕層の治療は拒んだ。強い反戦思想のもと、政府や軍需産業に近いものには軍事活動の停止に賛同するのが引き換えとなった。
しかしブルジョワジーにとって戦争は大きな経済活動。そのため戦争を放棄できず病に怯えていた。
SFは未来をただ予測し描くだけでは成立しない。\”自動車の誕生\”というテーマで言えばその先の渋滞という問題を想定するそれができるかどうかが SF 作家に問われる素質だと言われている。本作においてチャペックが見つけ出したのは感染症による世界の二分化である。