街とその不確かな壁(著:村上春樹)を読んだって話。
街とその不確かな壁(著:村上春樹)を読んだって話。
作家・村上春樹による長編小説。
下地となるのは1980年文藝界発表の未刊行の作品「街とその不確かな壁」。中編小説として不完全燃焼となっていた作品に手を加えてのが本作だ。
主人公・私が17歳の時に慕い、突然の別れから連絡を絶った初恋の相手・君。君に思い焦がれ、40歳を超えた私は君を探してふたりで作り上げた空想の街を訪ねることとなる。そこは高く変化をしうる壁に囲まれ、一角獣が放牧されている。時の流れは一日をただただ繰り返し、人々はそれぞれの職を繰り返す。私は影を切り離し、夢読みとして図書館に残された古い夢を読むことを繰り返す。
例の如く、氏らしい独自文体が強い作品。メタファー、ジャズや60年代音楽、引用する書籍。彼の作品に登場すれば一つの系統で集約された文化にも思える。(ホーキングですらも)
村上作品に共通すること。登場人物が一定水準の教養を携え、相手の顔色を伺わないで会話をする。特定のニッチドメインの話題も臆せず話す。人物らはすでに脚本を読み込んでおり、演出家の指示に従うように振る舞う。そんな舞台を観ているようにいつも思える。
氏の小説はメタファーや豊かな情景描写を多用し、それを除けばストーリー展開は乏しいとよく言われる。好き嫌いがある文体だが、このメタファーが作品に厚みを増している。この文体を読むにつれ、いつも考えるのが遅い思考が必要だということ。現実の世界では刻々と起こる事象を処理し、淡々とそつなく動かす。その動作の中では微々たる情報は脳が気にもとめないように働いてくれる。しかしこれを文章で表現するとなるとひとつひとつを丁寧に描写し、膨大な情報にするわけだ。つまるところ本来は生活する上で本来はカットされるものであり、おこなれる必要のない演繹的な処理である。フィクション作品となればなおのこと至難の技術である。(世界をスロー映像で丁寧に丁寧に具に描くわけだから、遅い思考とした。)
一般人が小説を書き出すとどこか説明的な文章になるのはこの辺り。描写が薄く、肉の伴わない骨だけの文章になるのだ。
村上春樹氏はその肉が他の作家と比較して、贅沢にあるわけだ。これを描くときにストーリーを同時に描きながら行っているのか、はたまた後付けでメタファーや情景描写を行っているのか。聞く機会があるのであればこの描写をどのように行い、体得したのか。聞いてみたい。
作家・村上春樹による長編小説。
下地となるのは1980年文藝界発表の未刊行の作品「街とその不確かな壁」。中編小説として不完全燃焼となっていた作品に手を加えてのが本作だ。
主人公・私が17歳の時に慕い、突然の別れから連絡を絶った初恋の相手・君。君に思い焦がれ、40歳を超えた私は君を探してふたりで作り上げた空想の街を訪ねることとなる。そこは高く変化をしうる壁に囲まれ、一角獣が放牧されている。時の流れは一日をただただ繰り返し、人々はそれぞれの職を繰り返す。私は影を切り離し、夢読みとして図書館に残された古い夢を読むことを繰り返す。
例の如く、氏らしい独自文体が強い作品。メタファー、ジャズや60年代音楽、引用する書籍。彼の作品に登場すれば一つの系統で集約された文化にも思える。(ホーキングですらも)
村上作品に共通すること。登場人物が一定水準の教養を携え、相手の顔色を伺わないで会話をする。特定のニッチドメインの話題も臆せず話す。人物らはすでに脚本を読み込んでおり、演出家の指示に従うように振る舞う。そんな舞台を観ているようにいつも思える。
氏の小説はメタファーや豊かな情景描写を多用し、それを除けばストーリー展開は乏しいとよく言われる。好き嫌いがある文体だが、このメタファーが作品に厚みを増している。この文体を読むにつれ、いつも考えるのが遅い思考が必要だということ。現実の世界では刻々と起こる事象を処理し、淡々とそつなく動かす。その動作の中では微々たる情報は脳が気にもとめないように働いてくれる。しかしこれを文章で表現するとなるとひとつひとつを丁寧に描写し、膨大な情報にするわけだ。つまるところ本来は生活する上で本来はカットされるものであり、おこなれる必要のない演繹的な処理である。フィクション作品となればなおのこと至難の技術である。(世界をスロー映像で丁寧に丁寧に具に描くわけだから、遅い思考とした。)
一般人が小説を書き出すとどこか説明的な文章になるのはこの辺り。描写が薄く、肉の伴わない骨だけの文章になるのだ。
村上春樹氏はその肉が他の作家と比較して、贅沢にあるわけだ。これを描くときにストーリーを同時に描きながら行っているのか、はたまた後付けでメタファーや情景描写を行っているのか。聞く機会があるのであればこの描写をどのように行い、体得したのか。聞いてみたい。