絶対製造工場(著:カレルチャペック)を読んだって話
「すべてのものに神様が宿っているんだからものを大切にしなさい」
\n誰からかそんなことを聞いたことがある。
幼稚園や中高はプロテスタントだし、両親もそんなに信心深い諭し方をするタイプではない。きっとどっかでの受け売りが頭の中にしつけの一環で残っているんだと思う。
\n\n\n\nこの考え方は日本古来の八百万の神様から派生した教えなんだろうけど、そんなことが念頭にあるからか、最初はこの本の”絶対”の正体が掴めなかった。
\n\n\n\nさて、この絶対とはなんなのか。
\n\n\n\n話は1943年のチェコから始まる。
\n世界的な鉄鋼工場を持つG・H・ボンディ氏は新聞広告から旧友のマレク技師が稀代の大発明をし、それを売却したいことを知る。
\n発明品、それはマレク技師が開発した原子炉「カルブラートル」は無尽蔵の発電機だ。
\n現行の原子力発電と同様で、物質の燃焼→原子から電子を遊離することにより、膨大なエネルギーが発生し、利用するというものだ。(ちなみに出版当時は1926年で、核分裂の発見は1938年だった。稀代のSF作家、おそるべし)
金のなる木のような発明だが、マレク技師は副作用を憂慮し、手放すことを選んだ。
\n\n\n\nカルブラートルによる核分裂は、物質内に存在する”絶対”を解き放ち、精神に大きな影響を及ぼすという。多幸感に包まれる。あるものは神を見る。あるものは自らの私財を分別なく分け与える。あるものは他社の傷を癒し、奇跡を起こす。
\n\n\n\nボンディ氏がこのカルブラートルを買い取り、量産し、世界に広まる。
\n多くは無尽蔵のエネルギーにより明るい未来を迎合し、世界から受け入れられる。
\nこれが破滅していく世界を描いている。
ネジ工場に設置されたカルブラートルは需要に関係なく、ただただネジを製造し、市場価格は無に等しくなる。そして経済は破綻する。
\nその一方で工場は偏在しているため、地域によってはネジが不足する事態。
\n(ちなみに物流が機能すればいいんだけども、そもそも労働をするものはいない。少しでも私財のあるものは他者に分け与えてるのに必死になっている。)
世の動向に違和感を感じるジャーナリストは記事を書こうにも”絶対”によって毒されたものに排除される。
\n\n\n\nこうして”絶対”の汚染は世界規模に広がる。
\n\n\n\nここで面白いのがみな信心深くなっているが、同じ神を崇めているというわけではない。
\nそれぞれがそれぞれの神を信じている。そしてその信仰心の高まりにつれ、同じ神を信仰しない他者を認められなくなる。そしてそれが憎悪を生み、世界規模の宗教戦争へと繋がる。
結果的にはカルブラートルは世界から滅ぼされ、裏でひっそり稼働するカルブラートルはスラム街で多幸感を求めるものたちのものとして社会悪の存在となる。
\n\n\n\n「絶対=神」と考えている書評が散見されていたが、一概にはそうは思わない。
\n理由としては皆が画一的な宗教心を芽生えさせているというわけではないからだ。神道以外にも多神教は多数ある。ヨーロッパではギリシャ神話しかりケルト神話もある。だが一神教のキリスト教が主流のヨーロッパと考えると、それぞれ固有の信仰心が芽生える設定は少し気がかりだ。(現在はチェコは宗教心が浅く、16%しか神の存在を信じるものは存在しない。しかし、1910年で国民の96.5%がカトリック教徒であった。共産主義体制のもとでチェコスロパキアに統合された時点で協会の資産が政府に吸収され、以降キリスト教徒は減少した。)
ちなみにチャペックは本著の中で日本からの国賓を登場させ、日本の宗教心を語らせているが「日本の神様は….」と一神教のような語り口をしており、的を得ていない。
\n\n\n\nではなんだったのか。原子力発電の揺籃期であり、現実化すれば何が生じるかわからない時代であった。その中で一抹の思いを託したのが絶対だったのだろう。アヘンをモデルにしたのかもしれない。
\n何れにしてもチャペックが最悪のディストピアを描くとき、どのような人間性が社会を破滅に導くのか、それを考え抜いた上でのシナリオ、そしてそれを導く”存在”として絶対を描いたのかなと想像する。