キュビスム展美の革命-ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ-を観に行ったって話。
20世紀初頭に表現に革新を及ぼしたキュビスム。
その勃興から潮流、そして次世代への派生から絵画表現の枠組みを超えた表現思想への昇華を巡る展覧会である。
Before Cubism
展覧会はポール・セザンヌから始まる。印象派を離れ、平面的で色彩の鮮やかな作品を求めた彼の作品群は大きな影響を与え、のちに彼は近代絵画の父と称される。彼の「自然を円筒、球、円錐によって扱う」という指針はのちにキュビスムの思想形相の軸となる。
それと同時にアフリカ大陸で発生していた芸術表現運動がヨーロッパに伝わる。全体はミニマルでありながら作品一部が非常に繊細な表現や色彩づかいをする先住民族の表現をプリミティヴィスムPrimitivismとヨーロッパでは名付けられた。
Rism of Cubism
ポールセザンヌの色彩表現やプリミティヴィズムを受けて、ピカソはアヴィニョンの娘たち(本店不出品)を描く。それを受けた同時代の作家であるジョルジュブラックが触発され、大きな裸婦を描いた。ここからピカソ・ブラックがキュビスムの礎を築く事となる。初期のキュビスムであり分析的キュビスム(Analytic Cubism)とされる。特徴は
- 多視点性: 物体を一つの固定された視点からではなく、複数の視点から捉えることで、それらの多面性を表現しました。
- 幾何学的分解: 被写体を単純な幾何学的形態に分解し、それを再構成することで、深さや形、空間の関係を新しい方法で描き出します。
- モノクロームの色彩: 色彩を抑えたモノクロームや制限された色彩パレットを使用し、形と構造に焦点を当てました。
- 抽象性: 完全な抽象へは至らないものの、被写体は強い抽象化を経て表現され、時には認識が困難なレベルにまで達しました。
(上記ChatGPTより)
後に続くSynthetic Cubismはより発展し下記のような特徴を得た。
- 色彩の豊かさ: 合成的キュビズムでは、初期分析的キュビズムの期間中に特徴的だったモノクロームや抑制された色彩パレットから脱却し、より鮮やかで明るい色彩を用いるようになりました。
- コラージュの導入: 特に革新的だったのは、ペーパーコラージュやパピエ・コレ(貼り絵)の技法の使用です。新聞、壁紙、包装紙などの日常の素材をキャンバスに貼り付けることで、現実世界の断片を作品に直接取り入れました。
- シンボリズムとシンプリシティ: 被写体を単純化されたシンボルや記号へと抽象化し、より少ない要素でより多くを表現する手法が取られました。これは、視覚的な「合成」によって、被写体の本質を捉えようとする試みです。
- 平面性と構造: 形と空間の関係に重点を置きつつも、作品全体の平面性を保持することで、画面内に新たな次元を生み出そうとしました。
(上記ChatGPTより)
コラージュやタイポグラフィの導入はのちのポップカルチャーに大きな影響を与えた。
サロン・キュビスト
ブラックとピカソの閃光を目の当たりにした次世代の画家たちが公募型の展覧会(サロン・デ・サザンデパンダンやサロン・ドートンヌ)で立て続けに行ったのでサロン・キュビストと呼ばれるようになった。彼らは意図して同じ部屋で発表をするなどしてキュビズムに注目が集まり、彼らが理論化していくのであった。(作品撮影不可)
例)アンドレ・ロート アルベール・グレーズ
同時主義とオルフィスム
ドローネー夫妻は同時主義(シミュルタネイスム) という概念を打ち出す。色彩の同時対象の法則に基づき色彩同士の対比効果を追求する作品作りだ。夫のロベール・ドローネーは批評家・アポリネールによりオルフェウス的(詩的)キュビズムの発明者と称される。オルフェウスは色彩によって構成された純粋な絵画であると捉えられた。
芸術家のアトリエ ラ・リュッシュ
芸術家の巣窟として当時の芸術運動の基盤となったラ・リュッシュ。フランス語で巣箱をさす。ここでキュビスムも醸成し、後に大成するシャガールもここで芸術活動に勤しんだ。
垣根を越えたキュビスム-メゾン・キュビスト-
1903年に創設されたサロン・ドートンヌによりキュビスムの家 メゾン・キュビスト を発表する。絵画で発展したキュビスムを建築や室内装飾に発展される試みだ。会場にはディシャン=ヴィヨンによる2階建ての建築模型が展示され、一階部分のみが石膏モデルによって製作された。
新世代によるキュビスム
フランスを中心に発展したキュビスムにロシアやウクライナといった東欧出身の画家が参加するようになる。一方で第一次世界大戦によりブラックをはじめとしたフランス人芸術家の多くは前線に送られる一方で、非交戦国スペイン出身のピカソらが大戦中のキュビスムを担う。
キュビスムの派生
キュビスムを牽引した画商カーン・ヴァイラーが大戦中に亡命したことにより、レオンス・ローザンベールが代表的画商となり先導することとなる。地位は回復するもより平明で簡潔な構成へと変化していくのだった。
その一方で戦争終結まもない1918年末アメデ・オザンファンとル・コルビジェによりピュリスム(純粋主義)が宣言される。機械文明の進歩に対応した新たな芸術運動であり、明瞭な幾何学的秩序に支えられた普遍的な美の存在を訴える。尊ぶべきは飛行機とリムジンだ。
発展は絵画にとどまらず、建築(1925年パリ万博 レスプリ・ヌーヴォー館)や映像表現(実験映画・バレエメカニック)に広がった。