「読んでいない本について堂々と語る方法(著:ピエール・バイヤール)」を読んだって話。
パリ第8大学教授、ピエール・バイヤール氏による異色の読書論本。
\n\n\n\n教養主義を語れば欠かせないのが読書。
網羅的に書物を読まなければ身につかないとされる教養。
端的に言えば「ちゃんとした読書」をしなければならないと。
ただ著者も語るが、本当にそんな読書が良いのだろうか。
むしろ精読することは有害でもありうると唱えるラディカルな視点を有す一冊。
本書では本は公にされた瞬間から、それが引き起こす様々な言葉のやり取りの総体によって存在するものとされている。精神的な書物は対人の中で意味やコンテクストが変容するそのために、没頭して取り組もうとすること著者の意図に傾倒するだけでなく、受け取り方も変わってくる。
(この辺りはとても構造主義的であるんだけど、そこは本著では触れていない。)
では書物をどのように取り入れるべきなのか、を考える上で
著者はそもそも書物を的確に取り入れるための6つの概念を示している。
共有図書館
\n\n\n\nあらゆる書物がそれぞれの内容にそれぞれ影響を及ぼしあっている。
その連鎖の総体を示す言葉。書物は読むのではなく、共有図書館においてどのように位置付けられているかを理解するのが理想の読書である。
内なる図書館
\n\n\n\n共有図書館は普遍的なものであるとした上で、各個人が抱える本の連鎖体系。
つまり共有図書館の主観的な部分。各個人の読書ヒストリーの蓄積による書物の総体とも言える。
ヴァーチャル図書館
\n\n\n\n書物について他者と語り合う空間。共有図書館における、変容する可動部分であり、それぞれの内なる図書館が関わりあう場である。
\n\n\n\n遮蔽幕としての書物
\n\n\n\n物質としての書物を手にした時、受け取り方は人によって異なる。
人はそれぞれの記憶によって、書物の内容を無意識的に改変する。
つまり内容は人の内面を反映する遮蔽幕(スクリーン)なのだ。
共有図書館に属する。
内なる書物
\n\n\n\n我々が書物に変形を加え、「遮蔽幕としての書物」を構成する際の影響源。
この内なる書物は文化によっても大いに異なる。文面を理解する際に引用する個人のバックグラウンドが異なるために、視点が異なり、文面も結果的に曲解することとなる。
内なる図書館に属する。
幻影としての書物
\n\n\n\nヴァーチャル図書館において誕生する幻想の書物。理論的には他者との会話において話題になると書物は忠実な現実的物象として疎通されるものだが、実際にはそれぞれの背景や意見が含まれ大いに変容した書物となる。
ヴァーチャル図書館に属する。
さて、本書は博覧強記であるべき教授が赤裸々に自身がいかに書物を読んでいないかを露わにしている。
その上で本当に目指すべき読書のあり方を下記のように示し、とても心強い。
「読んでいない本について気後れすることなしに話したければ、欠陥なき教養という重苦しいイメージから自分を解放すべきとする。教養人に見られたいという欲求 我々の内面を圧迫し、我々が自分らしくあることを妨げる欲求から解放されたものだけが自分自身にとって大切な真実に接近できる」